+++詩+++

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紙風船の記憶(十)

くたびれてしまったわ。弄ばれて
無数に刻まれた皺
ほだされてやわらかく
こころは破れてしまった
まあまあ、大変
お道具箱は何でも入っているから
紙テェプ取り出して薄く溶いた糊で貼る
繕う箇所はここだけかしら
吹き込む息転がす手のひら
弾む想いで吐き出した
茶色の染みはお兄様のこぼした珈琲
曲線をなぞる指先も
くたびれてしまったわ。弄ばれて
無数に刻まれた皺
ほだされて、やわらかい




紙風船の記憶(九)

夏の終わる風にそよぐ草はまだ青く
けれどわずかに薫る枯れ草のにおい
誘われて踏み入れた足枝を踏む
音を聞く鳥たちは姿見せぬまま飛び立った
頭上、茂る葉のまわりは少し枯れている
踏み入れた山の奥漂う枯れ草のにおい
ふと強まって立ち眩み枝を踏む
音に逃げる鳥がいない 虫がいない
風の音ばかり増してゆく
翳る陽 木々のざわめき
鼻腔漂う枯れ草のにおい
満たされた場所で枯葉踏む
遠くから見た山は青かった
枯葉の音 いいえ、これは紙風船
伸ばした手 突風に目をつむる
転がる紙風船、手に取る人は誰もいない
落ちた枝の折る音に鳥たちは巣へ帰る




紙風船の記憶(八)

夕焼けに焦がされて立ち尽くす
火照る頬に困惑して、けれどこの熱を失いたくなくて
焦燥に駆け出した
行ってしまう昼の名残つかまえたくて
か細い役立たずの腕を伸ばした
けれど距離は縮まらず、離されることもなく
疲弊だけが募ってゆく
息の切れる頃、ふとよぎる色彩。
紙風船に目を奪われ足はとまった
その隙に行ってしまった
逃げられた陽の笑う風に色彩は攫われる
私だけが夜に、置き去られた




紙風船の記憶(七)

あら、めずらしいですね。赤一色の紙風船なんて
緋色というのですか。これを娘に、ですか
かわいらしいけれど血色に見えるわ。
夕日のせいかしら影が染みに見えて
人の泣いている顔に見える。まあるいからかしら
深い彫りは悲しい記憶の断片
触れかけた指先はこわばって
ごめんなさい。娘は赤色が好きぢゃないの
嘘。足早に立ち去りたくて
きっと今頃同じ顔をしているから
本当はいつだってくしゃくしゃに笑いたかった
陽だまりの紙風船のように。今は暮明がやさしい




紙風船の記憶(六)

十五のとき、私は死んだの。
黄昏に吹く風が紙風船攫っていった
誘われるまま追いかけて掴みかけては取り逃がす
行為繰り返せばたどりつく十字路に紙風船捕まえた
待つものもすぐに来る。
取るに足らない国産車は気弱な男ひとり乗せて
笑顔の私と絡めた視線、歪ませた顔醜くて
ためらいなく身を投げ出し、目を伏せた
頭上舞う紙風船やわらかに夕日染まる
水たまりに音立てて落ちた気がする
雨なんて久しく降らない秋晴れの
黄昏に吹く風に攫われた紙風船は
抜け殻遺し、日を沈む




紙風船の記憶(五)

鼓膜に刻まれた呪詛「あなたは変わらないでね」
軋む骨に締めつけられ空気吐き声が出ない梅雨の頃
雨上がりの夕暮れにつないだ手は痛く
へこんだ胸に紙風船抱え成長を停めた、とおい日のこと
刻まれた呪詛はうすれることなくのびゆく骨に鳴らす警鐘
逆らえば鼓膜から流る血は呪われて赤く意志は曲げられ
へこんだ胸に紙風船抱え歪む骨走ること叶わず
夕暮れに立ち止まりやさしく押し潰す晴れた日のこと




紙風船の記憶(四)

「おまえ、欲しがっていたね」 と
手渡すとき包みこむ両手のひらに
ぬくもりを刻まれた皺、
はにかんで受けとる白い手で
紙風船宙高くはじいては
刻む皺、手のひらを思い出し
落としてしまう日暮れの影
手探りで拾いあげる汗ばむ指は
払う埃に染められて、あの乾いた手と同じ
けれど、こちらの手は冷たい




紙風船の記憶(三)

あどけない瞳で紙風船ころがした
風の無い夕闇にほてる頬紛れさす
この時分彼の人の着物も同じ
少女の血色、もえてゐる
声も無く、忘れられた紙風船
つむじ風ひとつ借りて
彼の人の足先へ主張する
かがんでは拾い上げる指先をたどれば
笑ってゐる顔がたそがれに見えない
夕闇に色あせた紙風船の記憶、生まれたばかりの日の頃




紙風船の記憶(二)

まあるい紙風船、手のひらをころがして
紙の擦れる音がする
こぼした空気は歪みを生んだ
その窪み、
指先がつかんだの
いいえ、指先はつかまれて
驚いて力を込めた
驚いた振りをして。
くしゃりと笑った紙風船
拾い上げるのは別の指先
薄紅色くちづけて
ため息を吹きこんだ
変わらず、紙風船はまあるい
皺だけが重く沈んでゆく記憶の底




紙風船の記憶

紙風船に刻まれた皺の数だけ絶望して
少女はいまだ少女のココロのまま
手のひらに皺を刻み込んでゆくのかしら
飽和した記憶とともに刻み込んでゆくのかしら
少女はいまだ少女の手のひらのまま
転がす紙風船はしおれて吹き込む息いぢわるだわ
皺だけが刻まれる皮膚はやわらかにほだされて
紙風船はまあるいまま月には届かない
もう日が暮れたからおうちで遊びましょう
紙風船に刻まれた皺の数だけ絶望して
少女はいまだ少女のココロのまま
手のひらに皺を刻み込んでゆくのかしら
飽和した記憶とともに刻み込んでゆくのかしら
少女はいまだ少女の手のひらのまま
転がす紙風船はしおれて吹き込む息いぢわるだわ
皺だけが刻まれる皮膚はやわらかになじられて
私は永遠にお空には帰れない
もう夜が明けるけれど眠たくはないの